ペトロポリスは、リオ・デ・ジャネイロから北へ約70キロ、車で1時間ほどの距離に位置する都市。ブラジル国内で初めて日本公使館が設置された場所であることから、都市名を耳にしたことのある日本人は多いかもしれません。
そして、標高約800メートルに位置するペトロポリスは、涼しい気候を活かして、かつては王族の避暑地として栄えました。また、ブラジル国内で最初のビール工場が創設されたのもこの都市となります。
賑やかなリオ・デ・ジャネイロとは対照的に、まるで軽井沢のような静けさと癒しを味わえるこの街。今回は筆者が実際にペトロポリスを訪れ、その魅力を体感してきましたので、本記事でその様子をご紹介します。
19世紀前半、ポルトガルの首都がリオ・デ・ジャネイロに置かれていた頃、ポルトガル王の継承者であり、後にブラジル帝国初代皇帝となるドン・ペドロ1世が、初めてペトロポリスの地を訪れました。その際、彼は標高約800メートルという涼しい気候を大変気に入ったとされています。
そして、ポルトガルに帰国する彼に代わり、息子であるドン・ペドロ2世がこの地の開発を主導し、ブラジル王室の避暑地としてペトロポリスの街を建設。以降、ブラジルが民主制へと移行するまでの間、この街は王族の避暑地として機能しました。
また、当時リオ・デ・ジャネイロで流行していた黄熱病を避けるため、多くの国の外交団もこの地に拠点を構えたことで、ペトロポリスは外交都市としても発展していきました。
ブラジルで、かつてカジノが合法であった期間に建築されたカジノ&ホテル「キタンジーニャ宮殿」。
内部は綺麗に保存されており、1階の大部分が見学可能。展示室では、当時の繁栄振りを伺える写真が飾られています。
他にも、ダンスホールや大きな鳥籠、巨大なキッチン、そしてカジノルームを見ることが可能です。
なお、キタンジーニャ宮殿は現在はタイムシェア物件としても使われています。
ペトロポリスの街を開発したドン・ペドロ2世。彼の別荘として使用されていた建物が、現在の「帝国博物館」です。
館内は写真撮影が禁止されていますが、ドン・ペドロ1世および2世が実際に使用していた装飾品や王冠のほか、彼らの家族に関する写真や資料、そして各国から寄贈された調度品などを見学することができます。
「ペトロポリス大聖堂(正式名称はサン・ペドロ・デ・アルカンタラ大聖堂)」の内部には、ブラジル皇室の霊廟があり、ドン・ペドロ2世とその妻が眠っています。
ドン・ペドロ2世は実際にはフランスで亡くなりましたが、その後、ブラジル皇室の入国禁止法が廃止されたことを受けて遺体はブラジルへ戻され、最終的にペトロポリスに埋葬されました。
ブラジルの避暑地に来たからには、ご当地のビールでさらなる爽快感を味わいましょう。ペトロポリスは、実は国内初のビール工場が建設された街としても有名。
製造拠点自体はサンパウロに移っているものの、一番人気の「ボヘミアビール工場」では今なおご当地ビールを楽しむことができます。
入場券を購入後、ロゴ入りビールコップを受け取り1杯目のビールを試飲。そして、全部で3杯のボヘミアビールを味比べすることが可能です。
かつての製造工場や歴史の展示物も見学でき、まさに見て飲んで楽しめるビール工場と言えるでしょう。レストランやお土産店も隣接していますので、時間を取ってゆっくりと過ごすことをおすすめします。
リオ・デ・ジャネイロの国内線空港の名前にもなっている、サントス・デュモン氏。航空力学の専門家であり、ヨーロッパで初めて動力飛行機の制作に成功した人として知られています。
また、特許を取得せず設計図を公開したり、数々の賞金を慈善活動に寄付するなど、誰もが認める平和主義者としての一面も持ちます。
そんなサントス・デュモン氏の家は非常に質素。実際、ベッドは木の板にマットレスを敷いて寝ていたそうです。
同氏の家は博物館となっており、ヨーロッパ初飛行の飛行機である「14Bis」と、それに乗るデュモン氏の絵を見物することができます。
ペトロポリス観光 | まとめ
ペトロポリスでは多くの観光スポットが中心地にあるため、歩いて回ることが可能です。中心地には現在も王室の末裔が暮らしているとされており、馬車が通り過ぎていく光景は、かつての繁栄の時代を思い起こさせてくれます。
そして、このような光景を目にしながらいただくボヘミアビールは爽快の一言。HISでは、今回紹介したスポットを巡るペトロポリスの日帰りツアーを提供していますので、軽井沢のようなおしゃれな街を存分に楽しみたい人はぜひ活用してみてください。
特に、ポルトガル語に不安がある場合は、同ツアーの利用でスムーズな旅を実現しましょう。
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